下手な鉄砲は明後日の方向にしか飛んでいかない

某所で古書店がハードカバーの書籍を投げ売りしていることを嘆くコメントを読んで、思ったこと。

――んなもん、出版社(や、作家)が古書店のあるじや、ひいては読者にその本の価値を説明してないんだもん、当然でしょ? いつまで「読めばわかる」なんて殿様商売やってるのよ――

書いてる自分にもグサグサささる言葉ではありますが、まあ、そういうこと。

きわめて実用的な書籍は別として、たとえばその辺の小説家の書くものにいちいち「これはほげほげという分野におけるふがふがという流れに属する一冊で、ばーばーという新しい知見があり、これを読むことでぶーぶーという問題について理解が深まることが期待できます」なんて、書いてませんでしょ? 文庫版であれば「解説」なるコーナーが後ろについていることもありますが、四六判の単行本にはまずそんなものはついていませんし、よしんばついていたとしたって売り文句かヨイショばっかり。冷静な分析なんてまずありゃしない。

先日も同じようなことを書きましたが、その本の価値を担保してくれる人が著者本人(と、せいぜい出版社自身の売り文句)だけってんじゃ、そりゃあ一見さんには道ばたに落ちているゴミといっしょですわさ。ゴミあさりもいとわない好事家ならそのなかからきらりと光る原石なりなんなりを見つけるかもしれませんが、これだけ飽食の時代にあって――しかも無理矢理消費者の口のなかにエサを突っ込むような商売をしている連中すらいるというのに――ふつうの人にもゴミあさりをしてもらおうってんなら、ゴミの山に見えてしまうものの価値をしっかり説明しないと。「お宝が見つかりますよ。それも十分な確率でね」と言うだけでなく、見つけたお宝のそれぞれについて「見てくれは悪くても実は貴重なものなのよ」というのをわかりやすい言葉で説明しないと。「どこがどう貴重なの?」という問いかけにその場で答えてくれる熟練対面販売員を用意できないんだったら、商品そのものにその貴重さの根拠を明記しないと――

なんていうとまた「なんとか賞が」なんて話が出てくるんでしょうが、文脈のない賞なんてただのこけおどし。その本自体は売れるかもしれませんが、それで次につながる保証なんてどこにもない。

いまの出版業界の苦境って、結局のところ出版点数ばかり増やしてそれぞれの本が持つ文脈、背景を伝えてこなかったから、消費者を網にとらえることができなくなっているということなんじゃないかと思う。もちろん熱心な読者には網が見えているから、どこかしらで引っかかって読書を続けられるんだけど、そこまで熱心でない読者には網がよく見えなくなっているものだから、読書を続けることができず、毎回読書を始めなければならない状態になっている。もちろん続けるより始めることの方が大変だから、忙しくなってくると、読書なんぞやめて、もっととっかかりやすいものに流れていってしまう、と。

別に目新しい意見でもなんでもないから言うのも気恥ずかしいけど、なんかね、嘆く方向が違うんじゃないかなと思ったことでありますよ。>心当たり