マッドサイエンティストには誰が鈴をつけるべきなのか

Rauru Blogの「フロンティアとしての Web 2.0」という記事を読んで、思ったこと。

総論は賛成なんですが、マッドサイエンティストに「実験をやめろ」というのはたぶん野暮なこと。「失敗したらみんなが迷惑をこうむるから」といっても、たとえば彼らが核関連の実験をやめることはないでしょうし、手を変え品を変え、Web 2.0というフロンティアから収奪する方法を考えるでしょう。

そして、そこに金のにおいがする限り、彼らに投資する山師も出てくるでしょうし、投資する山師がいる以上、その利益を代弁して宣伝に走りまわる連中も出てくる。

そこで全体を見て、やばそうなものにはブレーキをかけ、一般人にサービス提供する段階でもう少し安全に気をつかうよう指導し、また損害に対する妥当な補償をするなどして、各界の利害調整をしていくのが政治家や業界団体のトップを含むリーダーの仕事。

そのリーダーが、適切なリスク評価をせず、あっち、あるいはこっちに留まっているからいかんのだ、というのがRauru Blog、あるいはそこで批判されている梅田望夫氏の主張かと思いますが、どうも、読んでいるとときどきリーダー論からずれて、一般化しすぎてしまっているように思えるのは読み方が悪かったのか。

マッドサイエンティストアルファギークと言ったっていいですけどね)のレベルでは、たしかに善・清・可能性を信じる性善説はとても重要なもの。ここが性悪説にこり固まるようでは発展は見られない。

また、そのマッドサイエンティストを批判する人たち、特にセキュリティ業界の人たちが性悪説を信じるのも重要なこと。彼らまで性善説を信じているようではブレーキが存在しえない。

リーダーは、性善説性悪説も承知したうえで、個々の事例について、そのときその場所ではどちらを適用するのがふさわしいかを冷静に判断するのが仕事。どちらにこり固まるようでも問題がある。

梅田氏をリーダーとみなすなら、氏の発言はあまりに性善説に寄りすぎているという批判は可能だと思いますが、はてなとつながるアルファギークの親玉、あるいは広告塔とみなすなら、批判するほどのものでもない。性善説の意見のひとつとして、判断の参考にすればいいだけ。

まあ、Web 2.0はリーダー不在の体制をつくるものだからよろしくない、という批判はまた別の話として成立するとは思いますが、今回の記事にはそれぞれちょっとした違和感を感じたことでした。