所有格なるものが確立したのはつい最近のことでしかない

たしかに所有という概念自体はもっと前からあっただろう。だが、それはもっと大きな概念の一部でしかなかった。それは、genitiveという言葉が如実に語ってくれるはずだ。

「誰のもの」というのは、一見あまりに自然で、どの言語にも「所有格」に相当する概念があり(--はず。例外があったら是非ご一報を)、そして近代法では「財産権」という形である程度の明文化さえされている。

たとえば、ラテン語。たとえば、ギリシア語。あるいは古代英語でも、中高ドイツ語でもいいけれど、ちょっと古い時代の言葉を解説する教科書を読んでみればいい。いわゆる英語の所有格に相当する格は、genitive、ないしそれに似た言葉で呼ばれているはずだ。genitiveというのは、もとを辿れば「生まれに関する、生得の」といった意味。日本語では「属格」と訳すのが通例だ。

たしかにこの格のもっとも重要な意味のひとつは、所有概念の提示だ。たとえば日本語で「彼の本」と言ったとき、通常は「彼が所持する本」の意味になるのといっしょ、と考えておけばいいだろう。

だが、この日本語は、同時に「彼が書いた本」の意味にも、「彼のことを書いた本」の意味にもなりうる。「学生のひとり」と言ったとき、「学生が所有するひとり」と誤読する人はまさかいるまい。もちろんその意味は「学生という集団に属するなかの誰かひとり」のはずだ。

同じことは、genitiveという言葉が常用される古典語だけでなく、所有格(possessive case)という言葉を常用するようになった現代英語ですらあてはまる。

あえてWikipediaを引用してみれば、

Possessive case is a grammatical case that exists in some languages and is used to indicate a relationship of possession. It is not the same as the genitive case, which can express a wider range of relationships, though the two have similar meanings in many languages.

ということだ。

ついでにいうと、弾さんが指摘した「誰のもの」史観で、もうひとつ忘れられているものがある。英語でいうところのitの存在だ。

英語がお得意な弾さんならわかるだろう。it rains.というときのitというものは、本来不特定のものを指しうるだろうか。

それを弾さんが、あるいは現代人が忘れてしまったから、本文中に提示されたような変な例をあげるハメになるのだ。